もの と こころ

少ないもので軽やかに生きるためのいろいろ。ミニマリズムとかスピリチュアルとか、本とか。

心のもっと奥。

久しぶりの更新になってしまいました。

 

3人の子供が次々とインフル+胃腸炎にかかっていたのもありますが、

意識が自分の内に内にと向かっていた時期でもあり、

「外に発信する」という気がどうしても起きませんでした。

この間、気づきがたくさんあったので、整理する意味もこめて書いてみたいと思います。

 

マニアックな内容なので、「わけわからん〜〜」と思った方はどうぞスルーしてください・・・・。

 

長年の懸案事項だった「大きなソファを処分し、小さなソファを買う」

という大事(!?)を達成したせいなのか、「もの」に大きく行っていた意識が、

「こころ」に移っていきました。

いつもは部屋が雑然としていると気になって仕方なく、

散らかす子供たちにプリプリしながらすぐに片付けを行っていたのですが、

不思議なことに、散らかっていても気にならない。

 

毎日しないと気が済まなかった掃除も、

2〜3日に1回。

これは私にしては珍しいことが起きているなあ・・・と。

 

意識が心の奥深くにあり、外側では色々な出来事が起こるものの、静かな、穏やかな心持ちで過ごしていました。

この意識状態で、感じたこと。

 

「自分が自分だと思っているもの(エゴ)は、

ただの記憶の集積物である。」

 

ということ。

 

「私」という肉体は確かに存在しているけれども、

「私」を「私」だと思っているのは、ただの「記憶」の集まり。

 

毎瞬、毎瞬が新しく、

本当は過去とは一切関係なく、

 

そうやっていつも過ごしていたら、

全然、疲れない。すごいパワーが、瞬間ごとに注がれているな、と。

 

「あの人にああ言われた、傷ついた。」

「ああでああで、ああなったからこうなった。」

「こういう家庭に育ってこうだから私は幸せじゃない。」

 

というような、

今までは原因と結果を、当然のように紐付けして考えていたけれども。

そうやって、「私」というドラマ、ストーリー、ヒストリー、が作られていったけれども、それは「存在」せず、頭の中の妄想でしか、ない。

苦しみや、悩みの原因は、その妄想に、自分を一体化しているから起こるのだと。

その妄想から抜けた意識状態、こんな自由なこと、ない。

例え毎日、決められた時間に満員電車に乗って仕事に行っていようが、

決められたことを決められたようにやらなくてはならない仕事をしていようが、関係なく。

本当の「自由」って、何をしているかは問題ではなく、「どう、在るか」ということ。

たとえ、お金がいっぱいあって、好きな時に好きな場所で好きなことができる人だったとしても。

「私はこういう人間」

という「マイストーリー」に縛られていたら、本当に自由だろうか?

 

 

言語化するのがとても難しいですけれど・・・・・・

 

お釈迦様やイエスや、偉大なマスター達が言っていたことって、

そういうことだったんじゃないかな、と。知識では頭に入っていましたが、

やっと、「ああ、こういうことか」と実感しました。

すぐにいつもの意識に戻るけど・・・。この意識状態をキープすることが

課題でしょうか。

なんか、「心」のもっと「奥」に意識がある感じなのですよね。

 

「私」だと思っていたものが剥がれた「空」、それが本当の自分。

 

その「本当の自分」の状態で、これから残りの人生を生きていく。

 

文字にするとどうしても思考的になってしまいますね😔

 

 これから益々、物欲がなくなりそうな予感・・・です。

 

 

寝心地のいい布団と、着心地のいい服と、くつろげるソファと、本と花さえあればいい・・・。

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