日常の一つ一つを、心を込めて。
先日ご紹介した、
『黎明』を読み終えまして。
私は、本をたくさん買うので、もう読み返さないだろうなという本は、すぐに売ってしまいます。
一方、手元に残す本には、今の自分の琴線に触れたところに、とことん黄色いラインマーカーを引いていきます。
この本は、まっ黄っ黄になってしまいました(笑)
本当に、この本と出会えたことはベストなタイミングであり、
きっと出版当初の2001年に読んでもちんぷんかんぷんだっただろうなあ、と感じます。
本でも、人との出会いでも、「導かれている」なあと。
そして、この本と出会うことになったのは、とてもショックなことがあり、
そこから立ち上がる中で、色々と模索し始め、
以前からお会いしてみたかった方に思いきって会いにいき、その方に勧められたからなのですが。
その「ショックな出来事」がなければ、この本にで出会うこともなかったのかもしれない・・・・と思うと、自分にとって何が良いか悪いかなんて、本当に死ぬまでわからないなと思います。
なんどもこのブログで出てきている、
エックハルト・トールの「ニュー・アース」を読んだときに、「目覚めたけれど、
まだ定まったいなかった」これからの「生き方」が、この本を読んだことで、
明確になった感、があります。
と同時に、
なぜ、この時期に生まれてきたのか。
なぜ、日本に生まれてきたのか。
自分の「ストーリー」に起きてきた、色々な出来事がなぜ、起きたのか。
そういったことも、自然とわかったというか。
前置きが長くなりましたが、この『黎明』の中で、とても心に響く文章に出会いました。
「つまりその人の進化にとっての最短距離は、自分の周囲に起こってくる出来事のひとひとつをきちんとやっていくことに在るのであって、他に何か特別なものを探したからといって、近道ができるわけではないのです。きちんとやるというのは、ひとつひとつの表現を心を込めて丁寧に、しかも確実に為していくということで、別の言い方をすれば、心に想い、言葉によって語り、身体をもって行うことの一切が神の愛の表現に成っているという意味になります。」 『黎明』下巻 149Pより
つい1年前まで、こうなりたい、ああなりたいと、何かを追い求めて、
お金も時間もいっぱい使ってきたけれど。
その人にとって一番大事なことは、「今、目の前にある」状況に全て展開されているわけで、
その「目の前」のことを、「ひとつひとつ、心を込めて、丁寧に対応する」ということこそが、その人のやるべきこと全て。
今掃除をしているのであれば、丁寧に、心を込めて行うことだし、
今料理をしているのであれば、心を込めて洗う素材を洗う。切る。食べる人のことを想って作る。
今、お茶を飲んでいるのであれば、その香りや温かさを感じ、お茶が喉を降りていく感じすら味わう。カップを丁寧に戻す。
そういったことでしょうか。
私はいつも料理をしている時は、次の作業のことや、「あー 苦痛・・・いつか料理ロボットができればいいのに」とか考えているし、
洗濯物を畳んでいても、「次はあれをやってこれをやって・・・」とか、
「あの時あの人はああいったけどあれはどういう意味なのかな?私の方が悪かったのかな?」とか、そんなことばかり考えている。
エックハルトの言っている、「今」に「在る」 つまり「プレゼンス」の状態に在る、ということは、
「日常のひとつひとつを、丁寧に心を込めて」を自然と実践していくことになるんだろう。
この「今に在る」というのが、本当に難しいのですが・・・・。
試行錯誤しながらも、やっていこうと思います。
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